インド デリーにもどってきました。
そして第1日目にして停電です。
(新しいPCのおかげでバッテリがきちんと働いてくれて
いるので画面の明るさだけで、部屋の明かりを取ってい
ます。)
3年も故郷を離れるっつうのは、やっぱり良くないなぁ〜
っていうのが感想かな。
やっぱり、3年も留守にすると、友達の数がすごく減りま
す。ちょっとした知り合いとかは全滅。
ひさびさに電話しても、相手の態度がかなり冷たい
「あんた今さら何さ。。。」っていうのが、妙に優しく
そして上ずっている声からひしひしと伝わってきて
こちらが連絡先を残して電話切るも、その後一度も
かかって来なかったような。。。。。。
今回は一時帰国で時間が限られていたので、なかなか人に
会うことが出来ずに(出稼ぎもしていたので)こちらも
申し訳ないけれど会う人に優先順位が出来る。
どっちもどっちなんだろうけどね。
むりやり自分の時間を割いて、私のためにスケジュールを
調整してくれた友人たち。本当に感謝しても感謝しても
感謝しきれません。
改めてここで御礼もうしあげます。
こんな私でも良かったら 友達続けてくださいね(涙)
「もう一度会いたいね」って、言いながら会えなかった
方々本当に申し訳なかったです。今度はすぐに帰る
(本当か?)予定なので、是非会いましょう。というか
インドに来てください。アレンジメントはお任せあれ!!
一番しんどかったのは 3年ぶんだけ年を重ねた両親や
親戚との再会かな。
シンプルで、あまりごちゃごちゃと物を置くのが好き
ではない母が、部屋中お人形さんやら造花など物だらけ
にしていた。
家に入った瞬間、あまりのごちゃごちゃ度に
「なんじゃこりゃ ジャングルか?」って思ったけれど、
そうじゃなくて、母は一人っ子の私が遠くにいっちゃって
淋しかったのかな。って
父や母から逃げるようにして日本を去った前回に比べて
今回の旅立ちは涙がでるくらい辛かった。
2ヶ月の滞在中も、やっぱり両親とはぶつかってばかり
いたけれど、最後の晩はなんだか妙にシンミリ。
空港まで送りに来てくれた母の手前涙を流すことが
出来なかったけれど、やっぱり飛行機に乗った途端に
涙がとまらなかったよ〜
(大げさな なんて笑わないでくださいね。片道切符
でインドに来た私は、いつ帰れるか分からないんだもん
1年か1年半後には帰りたいけれど。。。。。)
特にたった一人生き残っている祖父は88歳。
88歳だから、明日何があってもおかしくない。
祖父にとって 孫は私だけ。そんな祖父や病気の叔父
にもう一度会えることが出来るのかな なんて思ったら
もうたまんないよ。
私の家族は偏屈だし、いろいろ問題は多いけれど、こんな
にたくさんの愛に私は支えられているんだって思うことが
出来ました。(誰もが思うことだと思うけれど、やっぱり
私の両親 最高!!おじいちゃん 最高!!)
それにしても、人間の脳とは不思議なもので
インドに来た途端、日本で過ごしていた日々が遠い昔の
ような錯覚に。
明るく奇麗な日本の空港から一変してデリーの空港へ
一緒のフライトで来た観光客の人が
「節電してるんじゃないの?」
っと思わず口にしたのが聞こえてきたけれど、
デリーの空港はやっぱり暗いよーーーーー
ちゃんと発電してよね。今だって停電中 もう1時間立ってる
んじゃないかな?
デリーライフ 始まりです。